天然メイドの奉仕揚げ修羅場風味(前)



 夢を見ようじゃないか。
 ぼくらが無邪気にはしゃいでいた、世界の理を知る事も、知る必要も無かったあの頃の。
 あの時のぼくらは、信じていた。ユートピアを。
 理想が理想におさまらず、夢のようだけれども夢じゃない、現実感のない現実。

 もう一度、夢を見ようじゃないか。
 この、幸薄い現実を前に…………

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「――ずきさん、和樹さん、アッチの世界にトんじゃ駄目ですの!!」
「ハッ!!」
 すばるの呼びかけに、俺は“何か”の淵に落っこちかけていた意識を取り戻した。
 手にはペンが握られ、手元には描きかけの原稿が広げられている。
 そうだった。ペン入れと仕上げの真っ最中だった。翌日の朝には、この原稿から刷ら
れたコピー誌が、数多のこみパ参加者の手に渡ることになる。その原稿の、文字通り必死
の仕上げ作業中だったんだ、今は。

「すまん、すばる。ついつい、どっかの夢電波を受信してたみたいで……」
「さっきの寝言から考えると冗談になりませんの……」
 すばるも、いつもの爽快な笑顔を寝不足の辛さに歪めている。




「さっきは俺だけだから良かったが、このままじゃ共倒れするのも時間の問題かも知れ
んな……」
 すばるの元気は、充分な睡眠と万全な食事によって支えられているため、その両方が
絶たれている今の状況――修羅場モード――では、流石のすばるも人並みの体力に落ち
てしまうのだ。

「お腹空いたですの……。イチゴとカスタードたっぷりのフルーツタルトが食べたいで
すの〜……」
 ぐぎゅるるるる〜……と、情けない音を響かせるすばる。心身ともに疲弊しきってい
る今の状況では、恥じらいも後回しである。

「オフセ本が完売したら、思いっきり食べまくろうな……」
「賛成ですの〜」

 人に限らず、あらゆる生物種にとって生来の絶対的欲望、食欲。
 それを押さえ込まれている俺たちは、獲物に3日間ありつけずに気が立ちまくってい
る肉食獣の如き欲望のオーラをその身体に、その瞳に纏わせ、あと数時間後に迫った即売会
――の後の食事――に、ムリヤリ心を躍らせるのだった。











天然メイドの奉仕揚げ修羅場風味(前)
Written by Ranke











 そして、即売会。
 俺はサークル準備として先に会場入りし、後で一般参加で入ってくるすばるにコピ
ー誌の運命を託したのだ。


「おはよう御座います……。大丈夫ですか? 和樹さん」
「あ、南さん……。ども、おはようございます……」
 心配げな表情で気遣ってくれる南さん。でも俺は既に、疲れを隠す気力すら惜しい状態
なのである。

「顔色がすごく悪いですよ? ごはん、ちゃんと食べてきましたか?」
 ずい、と俺の顔を覗き込んでくる南さん。いつもの自分ならドギマギしてしまう状況
なのだが、一歩間違うと色んな意味でヤバい今の体力では、悲しいかな、身体は何も反応
してくれない。
「あ、あはは、大丈夫ですよ、南さん。これが終われば、もう嫌って言うほど食いに行く
予定ですんで……」
 と、ふらつく身体に鞭打って、ぐるぐると回る視界を何とか抑え、新刊を取り出して
南さんに手渡す。

「本当に無理しないでくださいね……」
 なおも心配そうな顔の南さん。
 不満顔のままぱらぱらとチェックを済ますと、いつものはいOKです、の代わりに、
気をつけて下さいね、と言って去っていった。

 ごめんね、南さん。次は万全の状態で行く――よう努力するから。



あの、千堂さん……
「あれ、彩ちゃんじゃないか」
 艶やかな黒髪を一つに纏め、地味な色調のロングのワンピースに身を包んだ儚げな美
少女、長谷部 彩。
 すばると合体サークルを組む以前、一度創作系で参加した事があり、その時に隣にな
ったコだった。地味だが非常に面白く、上手い作品を描いていたので、少し前までは即
売会毎に必ず新刊を買いに行っていた。今では、お互いの新刊を交換しあうようになっ
ている。

「新刊の交換……だよね? はい、今回のウチと、隣の新刊」
は、はい。ありがとう……ございます
 俺とすばるの新刊を胸に抱き、丁寧にお辞儀する彩ちゃん。
それと……これを……
 そう言って、持っていた紙製の箱を差し出してくる。

「これは?」
もしかしたらと思って、サンドウィッチを作ってきたんですけど……。
 やっぱり、ご迷惑……でしたか

 もしかしたらって……、まあ言うまでもないな。もし朝食抜いてたらって事だろう。
「いや、そんな事無い。寧ろラッキーだ。渡りに船だよ」
 事実、今の俺たちには何よりのご馳走だ。
そうですか……。では、御影さんにもよろしくお伝えください……
 目を細めて薄く微笑むと、軽く会釈をしながらそう言った。
 正直、弁解じみた科白になった事を言ってから後悔したが、彩ちゃんはこちらの真意
をきちんと汲んでくれたらしい。
「ああ、ホントにありがとなっ」
 俺の言葉に、彩ちゃんは、いえ……と会釈しつつ去っていった。

 受け取った箱に目を落とす。
 ホント、よく気づく娘だな。将来、専業主婦にでもなったとしたら、旦那や子供は
きっと、他人に自慢したくなるに違いないだろうな。


 その後、由宇や詠美といったいつもの面子がやってきて、めでたくこみパ開催と相成
った。
 そして開会から1時間半、意外に早くすばるが合流してくる。自宅に戻り、折りと製本
までやってくれる最新鋭のコピー機で刷ってきたため、既に準備は万全だ。
 ここ最近の新ぶら(新住所確定&Brother2)は昼前頃に完売という販売ペースでほぼ
固定であったので、昼の1時からのコピー誌配布を決める。

 しかし、それは誤算だった。

 ブラ2のホームページ上でコピー誌も出すと告知していたのを失念していたのだ。
そのため、午前中は買い控えが起こり、ペースはいつもの30%以下。昼に近くなっても
在庫のダンボールの数が減る様子がないというその光景は、壁サークルの中でもひときわ
面妖なものだった。
 この影響がモロに出た1時以降の大混雑振りは、同人経験2年にも満たない俺にとって
まさに史上初、未曾有、空前絶後、前代未聞……つまりは筆舌に尽くし難い凄まじさだった。





 結局……

 疲れた身体を引きずって、スタッフ本部で南さんにこってりしぼられた後、後片付け
や後始末を引き受けてくれると言う大志に後を任せ、俺たちは会場を後にした。


 その後、いくつかのファミレスや軽食屋で、鬼のような形相で牛丼やステーキをかっ
食らう2人の人物が目撃される事になるが、見た人間は誰一人として関わろうとしなか
った。











 




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