合気流柔術流派・大影流――
 
 一般に認知されぬ場所でひっそりと生き続けた古流派である。
 
 
 
 現在、その技は一人の娘に奥義と共に継承された。
 
 その娘の名は――
 
 
 
 
 

        大影流
        波乱万丈記

筆:Ranke 
 
 
 
 
 

「すばるー、そろそろ休憩にするか?」
 男――千堂 和樹――は、テーブルを挟んだ正面に座る少女――御影 すばる――に告
げた。男はそうでもなさそうだが、少女は既にお疲れモードに入っているらしい。
「そうしますの〜。あ、お茶とお菓子、あたしが出しますの☆」
 立ち上がって台所に向かおうとしていた和樹を止め、すばるが立ち上がる。
 
 数分後、片付けられたテーブルの上に、豊かな芳香のハーブティーと、すばる手作りの
クッキーが出された。例によって、かなり大き目の皿に山盛り一杯。かなりの壮観である。
 
「相変わらずだな、すばる……」
 山の頂の部分から一枚とってかじり、苦笑しながら言う和樹。
「一杯食べなきゃ、強くなれませんのよ☆ それに、疲れたときは甘いものが一番ですの」
 にこにこしながらクッキーを頬張るすばる。彼女にとっては、お菓子を食べる事もそう
だが、和樹と一緒にいられるという事も笑顔の理由であった。


 他愛もない話題で談笑する二人。
 その時、和樹はふと思いついた。これまですばるに訊こうと思って訊いていなかった事。


「なぁすばる、前から訊こうと思ってたんだが、大影流ってどんな流派なんだ?
 てこの原理はともかく、固有振動とか、普通は武術じゃ聞かない言葉が多いけど」
 実際に、和樹が“武術”とか“流派”といった言葉からイメージするものと大影流とは、
大きな開きがあった。

 すばるは2・3瞬きして、頬張ったクッキーをよく噛んでからお茶で流し込み、漸く
すっきりした表情になってから口を開いた。


「大影流は、あたしのひいひい…ひいお爺様がお創りになった流派ですの。
あたしはお会いした事はないのですけど、ご存命でしたら150歳は超えてますの」
「へえ……そりゃまたすごいな」
「でも、伝統ある流派に比べたら、それでも新しい流派ですの。大影流はひいひいひい
お爺様が30代半ばを過ぎてからお創りになったそうですし」
 
 それから、すばるが奥義を伝授される際に必ず憶えておくようにと言われた、大影流の
歴史が語られた。その歴史とは――
 
 
 
 江戸時代末期――
 浦賀への黒船来航以来、日本は開国か鎖国かの間で揺れ動き、世の中もそれに呼応
するかのように混乱を極めていた。盗み・殺しは日常茶飯事的に起き、今日話した隣人が
翌日には畜生働きの目にあっていたと言う事も珍しくなかった。
 
 大影流開祖・御影大五郎はその頃産声(うぶごえ)を上げた。大五郎は御影家の末っ子の四男として
生れた。御影家はとある藩の家老職を務めていたかなり家柄のある家で、大五郎は物心が
つくまで、その家で相当に甘やかされて育った。しかし、物心がつき、本を嗜むようにな
ってからは古書から“日本の心”と言うものを自分なりに追求するようになり、日課とし
て武術の鍛錬をするようになった。専属の教師も呼び寄せたほどである。四男と言う、後
継ぎの(しがらみ)が無かった事も大五郎には幸いした。
 
 そんなある日、大五郎が日課の武術鍛錬中、柔道の流派には合気道の技も含まれている
と聞いた時、大五郎は柔術――特に合気道を極めようと決心し、御影の家を出て江戸で武
者修行をしようと思い立った。その時、大五郎は若干14歳。

 しかし、その頃混迷の度合いを深めていた江戸には猛者と呼べる者が殆ど居らず、それ
らは京都で戦っていた。仕方なく、大五郎は江戸にある柔術道場を片っ端から道場破りし、
頃合よしとした所で自ら町道場を開いた。しかし、その頃には倒幕派と尊王派の決着はほぼ
ついてしまい、世の中の流れは大きく動いた。
 日本は開国し、西洋の文化・物品が多数流入し、それと反比例するかのように日本古来
の文化は廃れ、排斥されていった。大五郎の柔術道場もその例外でなく、『武術は古臭い』
とされて敬遠された。

 そんな世の中の流れを憂えた大五郎は、その世にあって最も懐古的かつ血気盛んな者たち
――つまり、元攘夷論者たちをかき集め、御影流再興を図ったのである。

 が――

「やっぱり、明治政府に目をつけられたんですのね。危険思想の溜まり場として、大五郎
様の道場は閉門を喰らってしまったんですの。まあ、当時にすれば処刑されずに済んだ分、
良かったですけど」

 大五郎は仕方無く攘夷思想の門下生を全員破門にした。政府の目は一応そらす事は出来
たものの、殆どの門下生を失う事になり、俄に御影流は存亡の危機にさらされた。
その時、大五郎は29歳。結婚はしており、子供も一応いたが、生まれた二人の子供はま
だ小さかった。更に言うなら、子供は長男と長女の二人。長男に継がせるにしても、もし
体が弱ければ流派存続そのものが危うい。

「それから大五郎様は、柔術より合気術の方に力を入れたんですの。使う力をできる限り
減らしつつ、より大きく強い相手を倒すか、そこに重きを置いたんですの」

 元より合気流柔術だったが、決心後はより大きく合気道へと傾倒した。そして、自分達
を追い詰めた開国思想こそ発展への道と捉えた大五郎は、外国から流入する学問・文化・
芸術・運動競技・戦闘術を研究し、御影流の糧とした。その甲斐あって、大五郎が50の
半ばを過ぎた時、ついに御影流の奥義が大五郎により編み出された。


「あれ? 違和感が無かったんで今気付いたが、御影流? 大影流じゃなくて?」
「はいですの。元々の流派名は御影流だったそうですの。詳しい話は続きにありますの」


 西洋の学問の中にあった『力学』なるものに目をつけた大五郎は、力学を独学で修め、
技に力学の概念を詰め込んだ。そうして編み出されたのが、相手の勢いをそのままこちら
の力に変換して相手を投げる技・流牙旋風投げの原型だったのである。
 奥義の完成によって漸く流派として確立した御影流だったが、今度はその奥義を誰に継
がせるかで悩む事になった。その頃既に成人していた息子と娘は、嬉しい事に二人とも武
術の才能に明るかった。心も身体も強く育ち、奥義はどちらに継がせても問題なかった。
 大五郎は思案の結果、二人に奥義を教える代わりに二人を闘わせ、勝った方を正式な
後継者とする事に決めたのである。


「そして、勝ったのは娘の雛菊(ひなぎく)様の方だったんですの。そして、負けてしまった息子の
星一郎様は、大五郎様のように武者修行の旅に出てしまったんですの」


 敗れた星一郎は、僅か2歳の息子・(はじめ)を妹に預け、行方をくらましてしまった。
 大五郎は奥義の極まで全てを娘・雛菊に伝えた後、御影流の存在を表から隠し、奥義
そのものを一子相伝とした。自然、星一郎を勘当する形になった。
 それから十数年後、大五郎は流行病(はやりやまい)にかかって亡くなった。


「星一郎さんは……どうなったんだ?」
「それはこれからお話しますの」


 大五郎が死去して5年後、山の中で鍛錬中の雛菊の所に、兄の星一郎が帰って来た。
すっかり煤けた容貌になった兄を心配しつつ、帰ってきた理由を問いただすと、兄は
『新たな奥義を編み出した』という。
 かつて自分を倒した流派を倒す技――それこそが、彼がこの20年の間追求し続け、
編み出した技・地竜走破であった。
 雛菊はすぐさま兄の意図を読み、御影流奥義を継がせた義子、元を呼びつけ、彼にと
っての本当の父である、自分の兄と闘わせたのである。

 結果は、星一郎の圧勝であった。勝負の詳しい内容は伝えられていないが、元が“手も
足も出せなかった”と元自身の自叙伝で語っているように、地竜走破を含めて星一郎の力
は凄まじかった。勝負に勝った星一郎は、御影流奥義に地竜走破も加えるように頼んだ。
雛菊は僅かに躊躇ったが、御影流の本質である『流派の糧になるものは“全て”である』
という父・大五郎の言葉に倣い、地竜走破を奥義に加えた。
 御影流開祖の大五郎が編み出した“流牙旋風投げ”と、
大五郎の息子・星一郎が編み出した“地竜走破”。
 雛菊と星一郎は、父への畏敬の念も含め、新たな奥義の追加を機に御影流の名を改めた。

 大五郎の名の一字を取り、名を『大影流』と改めたのである。


「成る程、そこで大影流になった訳ね」
「そうですの」


 その後、第二次世界大戦・太平洋戦争、戦後の混乱・高度経済成長期と波乱万丈の歴史
を経て、大影流は現在に至る。その間に地竜走破も発展強化され、すばるの
『地竜走破・すぺしゃるえでぃしょん』で実に5回目である。


「ところで、固有振動って星一郎さんの時には判ってたんだっけ?」
「あたしは良く知らないのですけど、ひいおじい様(元)のお嫁さんの弟さんのお孫さん
が、後の研究で明らかにしたそうですの。親類縁者には、奥義は公然の秘密ですし」


  >> >> >>


「ふぅむ、すばるの大影流にそんな歴史があったとはね〜」
 そろそろクッキーも残り少なくなってきた。
「とても長いお話でしたけど、あたしはすぐに憶えられましたのよ。大影流の心は、すぐ
に吸収する事と見つけたり、ですの☆」
 と、可愛く握りこぶしをつくって、がっつポーズのすばる。
「はは、すばるの漫画を見てると、冗談に聞こえないから怖いんだよな〜」
 和樹はそう言って、おかわりのハーブティー(3杯目)を飲み干した。







 合気流柔術流派・大影流――

 一般に認知されぬ場所でひっそりと生き続けた古流派である。



 現在、その技は一人の娘に奥義と共に継承された。

 その娘の名は、すばる。



 御影の心は、今もなお、生き続けている――









  おわり












 ― あとがきの前に ―
 
 ども、Rankeです。
 『 Let's こみっくパーティー』への初SSとして送らせていただきました。
何の因果か、Rankeにとっても初のSSとなります――人様に見せる事になるSSとしては。
『どうせなら南さんSSにしろよ、カメさんに送るなら』と心の声が響きましたが、響いた
のは書き上げた後でした。残念無念(爆)
 初SSなだけに、相当にお見苦しい点が多々あったと思いますが、筆者の未熟さに免じて
ご容赦願います。







 ― 執筆後記(あとがき) ―

 元々、これはSSにする予定はありませんでした。すばるSSの設定を書こうかなー、
なんて思いながら書いてましたし。
 これを書く事になる日の昼間、自転車こぎながら何気なく 妄想 考え事をしている時に<アヤシスギ
突然思いついたネタが、『すばると大影流』でありまして。開発者の方も殆ど細かい事は
考えずに設定されたのだと思いますが、Ranke的に何となくヒットしてましたので。
 せっかくだからと、SSに書き起こしてみました。そんな訳で、ヤマもオチも意味も
ないです。おたくたて・よこから、くそみそにけなされてしまいそうです(笑)
 
 因みに、これの投稿を決意した後にすばるファンクラブ『新住所確定』に行って
大影流絡みのSS読んでから、投稿する気が揺らいだりしたのは全くの事実です(爆)




 ☆ツッコミ回避の言い訳(汗)☆

 これだけは言わせてください。

 こみパ本編に出ていないキャラは、
 全てRankeの妄想によって生み出されたうそんこ(笑)キャラです。

 後、これは言うまでもありませんが――
 大影流の歴史の流れ云々は、
オフィシャルではありません。
全て筆者の嘘八百です。
このSSを間に受けて、公式ページに問い合わせたりなどは絶対にしないで下さいね。
しないでしょうが(笑)

・日本史や歴史小説に詳しい方へ
 Rankeの日本史知識は受験生だった頃の記憶と
るろ●に剣●を頼りにした非常に怪しいものです。お願いですから、見逃して〜(泣)


・その他

 すばるが『とても長いお話――』と言っています。「全然長くないじゃん」とお思いで
しょうが、すばるが聞いた話と、和樹に話した実際の話はとても長いんです。そんな長い
話、読む気にならないでしょ? 筆者も書きたくないですし<コラ
というわけで、よくあるダイジェスト形式にしたわけです。すばるのモノローグだったら
全編に亙って『ですの☆』のオンパレードですっごい読みにくかったでしょうし。

 オリキャラの設定は、名前と性別以外殆ど考えてないです。
 その名前も、頭に即興で浮かんだものを使用しています。
まずいないと思いますが、これらのキャラをここ以外で使うのは色々問題があるで
しょうから、使わないで下さいね。



 蛇足。
 こんな駄作に『感想でも送ってやるか』と思って下さったお方は、
   こちらまで。
 なお、筆者は小心者ですので、きついツッコミや罵詈雑言を浴びせられると、
もれなく凹みます。いえ、特に意味は無いんですが。ええ、特に意味は……(汗2)



 長いあとがきもこの辺までにしておいて……
 SSを公開する機会を与えてくださったカメさんと、
 ここまで読んで下さったあなたに、多大なる感謝を込めて……
 ありがとうございました!

 ではまた、運命の交錯する場所でお会いしましょう――


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